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Chef&Okami_Hew



栄養について(その3)

最近読んだ本について、考えたことを書こうと思います。
「家庭料理」としての毎日の食事は、生命を維持するという最低限の目標と同時に、健康な生活を送るためにはどういう食事が理想か?、ということも考えつつ作ります。店では、お客様に料理を提供しますが、「まかない」として、嫁さんと自分自身のための食事も毎日作っています。この「まかない」は、極普通の家庭で、家族のために作る「家庭料理」と同じ感覚です。栄養のバランスとか、味の好みとか、色々考えながら作るのですが、正直言うと結構面倒くさい。作ること自体も面倒ですが、何を作るか考えるのが、一番面倒くさい、という感じですね。どんな物を毎日食べるのが、健康的に良いのか、恐らく世の中の主婦や主夫、ご自分で料理を作られる方は日々悩まれているのではないでしょうか?

何を信じたら良いか?

私の持っている書籍のタイトルを3冊、例として挙げます。
(1)「ダイエットの科学 「これを食べれば健康になる」のウソを暴く」
ティム・スペクター著 白揚社(2017年4月23日 第一版 第一刷)
原著 THE DIET MYTH: The Real Science Behind What We Eat(Weidenfeld & Nicolson 2015)
(2)「オリーブオイル・サラダ油は今すぐやめなさい!」
奥山治美著 総合ムック(2007年8月30日 初版 2014年8月20日 14刷)
(3)  「病気がイヤなら「油」を変えなさい!」
山田豊文著 河出書房新社(2015年 5月1日 初版)
これらの本は、内容的に同じ事を言っている部分もあれば、異なることを言っている部分もあります。
書籍、インターネット、テレビ等の情報は、あふれる程ありますから、知りたいことは直ぐに得られると思ってしまいますが、そうした情報の中身が矛盾することが多々あって、どれが真実かわからなくなることが頻繁に起こります。

ダイエットという言葉について

ダイエットは、英語ではdietです。辞書を引くと、食事に関しては、2つの意味があります。(以下は、「ジーニアス英和大辞典」および「LONGMAN Dictionary of Contemporary English」 より)
(a)(治療・減量・罰のための)規定食, 減食, ダイエット;美容食
a way of eating in which you only eat certain foods, in order to lose weight, or to improve your health
(b)(栄養面からみた日常の)食事, 飲食物;食品;常食
the kind of food that a person or animal eats each day
日本語でダイエットという場合は、(a)の意味が普通です。特に、やせるための食事や制限食を意味することが多いと思います。更にすすんで、体重を減らすための運動など、やせようと努力する行為そのものを指すこともあります。英語では、この意味では用いられないようです。
ユネスコ無形文化遺産に登録された「和食;日本人の伝統的な食文化」は、英語では”WASHOKU;Traditional Dietary Cultures of the Japanese”となっていて、Dietaryは、(b)の意味の形容詞です。
私が、「家庭料理」という場合は、健康の事も考慮した毎日の食事、ということを意識していますので、(a)と(b)の両方の意味を含んでいます。

人の体は皆違う:体質の差

体質は、人それぞれ異なっていて、同じものを食べていても太りやすい人もいれば、やせている人もいます。上記に挙げた(1)には、次のように書かれています。
「ダイエットにまつわる神話のなかでもとくに危険なのが、食べ物への反応は誰でも同じだと考えてしまうことだ。私たちは、ある食事をしたとき、あるいは何らかのダイエット法を試したときに、自分たちの体が実験用ラットのように、誰でも同じ反応を見せると考えがちだが、実際にはそんなことはない。私たちの体は誰一人として同じではないのだ。だから、たとえば体重のことを心配する際に、摂取カロリーと消費カロリーのバランスだけにこだわっても何の意味もないし、それどころか混乱の原因にもなりかねない。・・・
食べ物、運動、環境など、あらゆるものに対して、私たちの体はそれぞれまったく異なる反応を示し、それが脂肪の蓄積量、体重の増加量、さらには食べ物の好みなどに影響を及ぼす。すでに説明したとおり、こうした反応の違いは、遺伝子によっても生じるし、腸にすむさまざまな細菌の作用も受けている。私達の腸内細菌には、さまざまな病気の予防や体重の増加防止といった働きをもつものもあれば、そうした要素への感受性を高めているものもある。」(333~334頁)
同書によれば、体質の差は大きく分けて2つのものから生じます。一つは、遺伝的なもので両親から受け継いだ先天的なもの、もう一つは、腸内細菌です。当ブログの栄養について(その1)で紹介した、DNAの塩基配列が一つ異なるSNP(single nucleotide polymorphism)、一塩基多型、と言う遺伝子レベルの差は、先天的なものの例です。腸内細菌による体質の差は、ここ10年ほどの間にわかるようになったものだそうです。腸内細菌の研究が急速に進んだ背景には、DNA解析技術の進歩があります。2018年7月21日付朝日新聞のbe on Saturdayの記事「(今さら聞けない+)ヒトゲノム解読 技術革新で広がり始めた活用」によれば、2006~2007年頃に、シーケンシングという手法の次世代型装置が開発され、それ以前の装置に比べて飛躍的に性能が向上しました。(1)の70頁に次のような記述があります。
「微生物を検出しようと思ったら、一〇年ほど前までは、培養して目に見えるコロニーを作らせる以外に方法はなかった。つまり、培養皿の上で微生物を数週間育てて、増やさなければならなかったのだ。そのやり方しかなかった当時、私たちの腸には面白い細菌はそれほどいないと思われていた。しかしやがて、腸内細菌のうち、そうやって簡単に培養できるのはわずか一パーセント程度でしかなく、その一パーセントの大部分が、私たちに害のある細菌、すなわち病原菌であることが判明した。そのことがわかったのは遺伝子シーケンス技術(シーケンシング)が使われるようになって、微生物検出のプロセスが根本から変わったおかげだ。この技術によって、これまで培養できなかった、ほかの九九パーセントの腸内細菌の姿が明らかになり、そのほとんどに病原性がないことが確認されている。」
同書の巻末に、各章の参考文献が載っていて、その多くは、2010年代のものです。腸内細菌についてわかってきたのは、極最近のことと言っていいと思います。栄養について(その2)に書いたように、腸の中は、人間の体の外であって、旧来の栄養学で取り扱われていた体の中に吸収される栄養素だけでなく、腸内細菌のための栄養素の重要性が認識されるようになりました。(1)のおかげで、私がこれまで疑問に思ったり、知りたかったりしたことのいくつかが、明らかになりました。
(1)の著者は、ロンドン大学キングスカレッジの遺伝疫学教授で、双子研究の権威だそうです。22頁に次の様な記載があります。
「現実には、遺伝子が全く同じ一卵性双生児なのに、ウエストサイズがかなり違っているケースがときどき見られ、私たちはそういう特別な双子を詳しく調べて、体型の違いの理由を見つけ出そうとしている。・・・」
そうして、その要因の一つとして「腸内細菌」に注目し、5000人の双子を対象にした腸内細菌研究(Microbo-Twin)を2012年にスタートしました。(1)は、その研究とその後に立ち上げたブリティッシュ・ガットプロジェクト、および著者自身のダイエット法の実践の両方の成果がまとめられています。本書は、文献も豊富に挙げられていて、スタイルは学術書的なところもありますが、文章自体は私の様な素人にも読みやすく書かれています。「病は気から」という言葉もあるように、健康は人間の遺伝子と腸内細菌だけでは説明できる訳ではないでしょうけれど、何を食べたら良いのか、ということに関しては新たな視点をもたらしてくれます。

情報内容の違い

上に挙げた(1)、(2)、(3)に書かれている内容の内、オリーブ油に関して言うと、(1)と(3)は肯定的、(2)は否定的です。一方、トランス脂肪酸に関しては、3冊とも否定的です。
(1)の著者は、次のように言っています。
「最近はみんながみんな食べ物とダイエットの専門家であるかのようだ。ところが、たいていのダイエット法は、科学の訓練を受けたことがない人によって考えられ、宣伝されている。もちろん、栄養士や栄養コンサルタントのなかにも分別のある人はいるが、悲しむべきことに、どんな輩でもその肩書きを名乗れるのだ。・・・
問題は門外漢ばかりではない。評判の高い医師ですら、自説にこり固まってしまうと、それに矛盾する新たなデータが出てきても自説の不備を認めるのを拒みがちだからだ。科学や医学のほかの分野では、その手の内輪もめはないし、統一見解が存在しないということもない。無数にあるダイエット情報が主張している健康効果に対して、それを裏付けるしっかりとした研究がないという状況も、ほかの分野では考えられない。さらに言えば、乱立する食事法やダイエット法ほど、競合する宗教の集まりに似ている感じがするものはないだろう。どのやり方にも、教祖と狂信者、ふつうの信者、そして懐疑論者がいる。そして、宗教と同じように、たいていの人は、たとえ死に瀕していても自分の信仰を変えたがらない。」(20頁)
「万能のダイエット法などというものは存在しない。ここまで繰り返し見てきたように、脳や腸は個人差がとても大きいし、食べ物に対する体の反応も人によってさまざまで、なおかつ柔軟性が高いからだ。また、二番煎じの理論が正確な実験結果の一万倍もあふれているこの世界では、絶対に間違いを犯さない専門家や、完全に公正な判断を下せる人も存在していない。現代は合成DNAやクローン動物さえも生み出せる時代だが、実のところ、私たちの生命を支える仕組みについては、驚くほど少ししかわかっていないのだ。・・・」(349頁)
そうであるとすると、書籍に書かれていることが、本当に正しいかどうか専門家にも判断が難しい、我々のような素人にはなおさら難しい、ということになります。

当面の私自身の方針

健康的な食事を心がけてみようと思って
(4)久司道夫のマクロビオティック 入門編
久司道夫著 東洋経済新報社 (2004年10月12日 第1刷 2009年3月6日 第7刷)
を読んで見ました。この本には、次のような記述があります。
「牛乳は子牛用です。人には向いていません」(31頁)
「飲み物としては、アルコールやコーヒーなどの刺激の強いものは避けて、三年番茶や茎茶などカフェインの少ない物を選びましょう。」(47頁)
私は、十代後半からコーヒーを飲み続けています。最初は、試験勉強の一夜漬けのためでした。要するに、眠気を覚ますためです。コーヒーには、通常ミルクを入れます。従って、“人には向いていない牛乳”を“刺激の強い”コーヒーに入れて飲んでいることになります。同じく二十歳過ぎの頃に、親戚からもらった赤ワインに魅せられて以来、アルコールも40年以上、飲み続けています。このような生活を続けてきたので、マクロビオティックの食事を厳密に採用しようとすると、少々無理がありそうです。
(1)の著者は、食事法やダイエット法が宗教の様なもので、それぞれに教祖と狂信者、普通の信者、懐疑論者がいて、たいていの人が、たとえ死に瀕していても自分の信仰を変えたがらない、ということを言っています。私自身も例外ではありません。ある特定の宗教に洗脳されている可能性があり、自分の都合の良いようにコーヒーやアルコールを飲むことを肯定する人の意見のみを、自分に合った食事法として受け入れている、と思った方が良さそうです。色々な説があって何を信じていいかわからない、という状況はあるにしても、自分自身が最も信用できない、と疑うことが大事なのだろうと思います。
20代後半から30代にかけて、魚よりも肉を多く食べていた時期があります。野菜類も、余り食べませんでした。病気になるような状況ではありませんでしたが、今思い起こすと、当時の体調はよかったとは言えません。便の状態が、魚を食べた時と肉を食べた時では、異なっていたような気がします。その頃は、自分で料理することが、今ほど多くはありませんでした。時々、知り合いのご夫妻が食事に招いて下さって、奥様の手料理をご馳走になりました。そんな時はとても嬉しくて、こういう食事が私の体には合う、と思ったものです。この頃の経験から、私は、肉よりも魚、そして、充分な量の野菜を食べた方が、自分の体にはよさそうだと考えるようになりました。「和食」は、そういう意味で私にとって好ましいと思っています。
好きだからと言って、同じものばかりを食べることは、避けた方が良いかも知れません。仮に、ある本で、健康に良くないと書かれているものであっても、頻繁に食べないのであれば、猛毒でない限り、体に及ぼす影響は限定的でしょう。(1)の著者が言うように、万人に有効な食事法というものがない、というのが現状であれば、ゆるやかなルールで、ある特定の宗教にのめり込まないように気をつけながら、成るべく色々なものを食べれば良い、と思います。但し、美味しい物を食べたい、という欲求は、私には消すことは出来ません。幸いなことに、食事がその人にとって健康的であるということと、美味しいと感ずることは両立するように思います。美味しく食べられること、そしてそれが健康的であること、というのが私の理想とする「家庭料理」です。そういう料理を、お客様に提供できればうれしいですね。