いほり看板

Chef&Okami_Hew



開店するまでのこと

 

2014年10月に開店しました。何故、この年齢になってこういう店をやろうと思ったかについては、複数の要因が重なっていて、未だに自分でもよくわからない部分があります。ただ、何らかの形で働きたいという思いはずっと持ち続けておりました。そして、こんなオッチャンでも出来るかも知れないと錯覚してしまったからかも知れません。

学生時代の自炊など

学生時代に、時々自炊をしていたことが料理の経験のスタートです。これまでに、自分の作った料理を食べてもらって、おいしいと言ってもらったことに喜びを感じることがたまにありました。「暮しの手帖」の料理記事や、TVの料理番組、特に「きょうの料理」(NHK)、「金子信夫の楽しい夕食」(朝日放送)、「食彩浪漫」(NHK)等は録画したり、テキストや本を購入したりしていくつか料理を作ってみました。その積み重ねが、私の料理の基礎なのではないかと思います。私の子供が小さいときに、家事分担の一端として時々夕食等を作ることを始めました。これも料理の経験としては重要なものの内に入ります。

我が家に知り合いを招待しておいしいものを食べて頂き、楽しくしゃべりながらお酒を飲む、というのが発想なのです。プロの料理人というよりは、「オヤジのもてなし家庭料理」というのがイメージとしては近いのではないかと思います。

料理学校で日本料理

退職してから料理の学校に行き、日本料理を教えてもらいました。しかし、年齢が年齢ですから、若いときから修行してプロの料理人になった人と伍していける筈もありません。
自分の味覚が、”お袋の味”がベースになっているかどうかは、自分自身ではわかりませんけれど、実家で過ごしているときに食べた畑のとりたての野菜の味は、私の味覚を作る上で大きな役割を果たしているのは、間違いないように思います。そういう意味では、お袋に感謝し過ぎることはないでしょう。近くに海のない山梨県で18歳まで育ちましたので、食べた魚と言えば、干物(目刺し、鰺)ぐらいしか記憶にありません。宮城県に住むようになって、塩竃や気仙沼からの新鮮な魚を食べた時、初めて魚のおいしさを知ったと思います。

魚と野菜

料理の素材としては、魚と野菜についての知識と扱い方をもっと深めたいと思っております。

料理学校卒業後、特に魚のさばき方を習得するため大阪市内にある居酒屋でお世話になりました。この店に約4年程通っている間に、魚のこと以外も、色々教えて頂きました。包丁は、ほぼ毎日研ぎました。研ぎについてわからないことがあると、大阪難波の道具屋筋にある包丁屋さんに行き、研ぎのベテランに質問して少しずつ覚えていきました。包丁の研ぎ方については、いずれどこかに書いてみたいと思っています。
また、地元の食材についての知識を深めるため「浪速魚菜の会」に入会しました。野菜に関しては、枚方市にある「浪速魚菜の会」の会員の農家の方の貸農園を借りて、約3年間プロの農家の方に指導して頂きながら有機野菜を栽培しました。この時採れた野菜は、時々我が家の食卓に上りましたが、家族には評判がよかったです。有機野菜も、作り方によって味はかなり異なる物になります。有機無農薬野菜は手がかかりますので、値段が高くなるのは仕方がない、と実感しました。

お世話になった方々

初めてのことばかりでしたので、開店の際には多くの方に、お世話になりました。
店舗の場所を決めるのに予想外の時間がかかりました。何軒かの不動産屋さんに相談して場所を探しました。それとは別に、私の昔の会社の同僚を通じて、大阪市福島区の居酒屋の御主人を紹介してもらい、店舗の情報を頂きました。現在の場所は、この御主人とある不動産屋さんからほぼ同時に情報を頂いて、決めた場所です。この方には、大阪市中央卸売市場で、何軒か仕入れ先を紹介して頂きました。
店舗の内装は、以前からの知り合いの工務店に御願いしました。店舗の工事もされている工務店ですが、一般の住宅も数多く手がけていらっしゃいます。私の店の内装は普通の居酒屋よりも住宅に雰囲気が近いかも知れません。趣味の一つが木工です。木工を教えてもらった師匠にカウンターの板やテーブルの作成を御願いしました。
器は、自分で購入したものの他、私や嫁さんの知り合いから頂いたものが多数あります。
マンションに住んでおりますが、何人かの知り合いにお酒のことや酒器のことを詳しく教えてもらいました。私も嫁さんもお酒のことは詳しくありません。水割り、お湯割り、ロック等、基本的なことも知りませんでしたので大変ありがたかったです。